2014年5月12日月曜日

私の山歩き里歩き紀行・山形編(36)

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雛祭りの時期に帰省し旧家の雛飾りを巡る

                   

 故郷山形村山地方の旧家に江戸時代からのお雛様が遺り、この時期公開されていることは以前から知っていた。最上川を利用した舟運が栄えた江戸期に京へ紅花を運んだ帰り船で様々な物資が持ち返られたが、その中に雛人形もあり、最上川沿いの豪商や名家から引き継いだ旧家での公開が河北町谷地から始まり、今ではわが東根まで広がっている。

 

野守の宿で雛と絵を観る 

実家滞在の二日目、隣町内にお住まいの恩師のお宅にご挨拶した後、本町通りへ出て商店街へ。郊外に大型量販店が出来た現在でも、子供の頃からあった洋品店が健在で、懐かしくもあるが頑張りも感じる。雛祭会場"野守の宿(ヌモリノヤド)"は八日町の大通りに面し、漬物店を営む壽屋の隣。元大地主の邸宅で、広い土間から屋内へ入って見学。右手の座敷が雛飾り会場。8段飾り程の古いひな人形が数組飾られている(写真上)。説明によれば主に市内各家所蔵のものらしい。有名な享保雛もあると知ったが、確かめるのを怠ってしまった。弟が一緒で、彼は撮影可能と知り、アングルを探してはシャッターを切っている。

 左手が広い蔵座敷。こちらには、日展審査員武田敏雄画伯の作品が展示中。彼は中央でも有名な地元在住の洋画家であるが、作品を鑑賞するのは初めて。私の記憶では、武田さんは中高時代野球選手として知られていたと思う。彼の弟が同級生。葉山から月山を描いた絵が印象に残った。隣の店舗へ戻り店主Aさんに挨拶し、お茶をご馳走になる。私の一級上で、小中は勿論、大学でも先輩。長年地元経済界トップとしてご活躍で、東京の集まりでもお会いすることがある。そんな雑談を交わして、辞した。

 

女主人の話を伺った梅ケ枝清水 

次の会場"梅ケ枝清水(メガシズ)"へ向かう。大通りを左折し竜興寺沼畔の雪道から小学校校庭で大欅を見上げる。葉を落とした老大木は少しスマートに見えるが、お墨付きの日本一の大欅。養源寺から東根城主里見公の御霊屋を眺めて、梅ケ枝清水へ。こちらも元大地主のお宅で、広い座敷一杯に10組に近い赤毛氈の雛壇が飾ってある(写真下)。現在当家では郷土料理を提供し、旅番組にも登場しているという。先日来の大雪で国道48号が不通となり仙台方面からの客が絶えたと、女主人は嘆いた。本日も、我々以外見当たらない。

 当家や梅ケ枝清水の由来を伺った。やはり東根一の大地主Y家に繋がるという。また、梅ケ枝という姫を巡る悲話は、子供の頃祖父から聞いていた話と一緒であった。礼を言いお屋敷を出て八幡様に詣で、Y家大邸宅前を通りお城のような石垣を眺めて、本町から柳町への実家へと戻った。

 

 拙著800号紀行本出版祝は東根温泉のホテルで、18時から始まった。恩師や同級生、それに従兄弟・姉妹達と22名も集まって戴き、至福の時間であった。超90歳の先生方から元気を貰い、御礼の挨拶で、思わず900号、1000号を目指すと口走ってしまった。

                                                                       (2014/02/25 13回卆工藤 莞司)

                                                                                                                                                                                

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