変貌した故郷を眺めながら大森山を往復する
“大森山の禿パッチ ラララ ラララ ラララララ・・・”で、始まる曲は、わが故郷東根本町にのみ伝わる七夕祭りの際、各地区の音楽隊が奏でる定番の曲であった。大森山は本町のシンボル的な山で、位置的には郊外南東にあり、奥羽山系からポツンと離れた標高280mの小さな小さな孤峰である。我が生家からはそう遠くはなく、子供の頃には毎日眺めた里山でもある。石灰岩の採掘跡が本町方面からは白く禿に見えた。しかし、麓は何十回も往復したが、実際山頂に立ったのは1,2回に過ぎないと思う。山には大昔大森秀重の城があって、本町一日町の秀重院が菩提寺と祖父が教えてくれた。サクランボ狩りに帰郷した翌朝、早朝に実家を出て、大森山を目指した。コースは子供の頃、祖父と隣の神町へ歩いたコースと同じとする。
諏訪神社石段を上がる 大森山が正面に見えて来た。右手は誘致企業の工場が集まる工業団地。山裾にあった小さな池を思い出し、注意しながら進むも見付からない。テニスコートがある付近と思う。諏訪神社の石段下に至り、神社へ。養蚕家の参拝が多かったようだ。やはり中学時代部活のトレーニングに、石段駆け上がりをしたが、長くは続かなかった。草茫々の近道を登山口へ。このルートは若しかして消えているかと思ったが、何とか残っていた。山腹に切られた車も通れる道を上がり続ける。振り返ると工業団地の先に葉山を従えた月山が見える(写真参照)。未だ真っ白な月の山で、今年は雪が多かったと聞く。電波塔が林立した先が山頂広場。周囲は樹が邪魔し展望はない。僅かに神町方面が開け朝日連峰が望めた。カメラに収め、稲荷神社に手を合わせて、誰もいない大森山山頂を後にした。
佐藤錦誕生の佐藤家を経由 麓へ下りて、南側にある磨崖仏を眺め、タイパラ地蔵様に挨拶し本町方向へ戻って、途中から小林地区へ左折。小林では表札から、辻村姓を確かめ一安心。以前は小林の住民全員が辻村さんで、同級生が3人おられた。
スーパー店舗の横に出る。畑の先にあった我々が通学した中学校は今はなく、商業地区に変身し東根発展の証かもしれない。通称ヤマキ様の前へ出る。サクランボの人気品種佐藤錦を育成した佐藤栄助さん宅と果樹園。子供の頃は人里離れた林の中の一軒家であった。庭先にその石碑があった記憶があり、覗いたが不明。また旧道を通り、櫻壇という火葬場跡を過ぎると柳町橋は直ぐで、丁度朝食前に実家へ戻ることが出来た。 (2012/07/1歩く 13回卆 工藤 莞司)
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