2012年11月9日金曜日

私の山歩き里歩き・山形編(24)

変貌した故郷を眺めながら大森山を往復する



 “大森山の禿パッチ ラララ ラララ ラララララ・・・”で、始まる曲は、わが故郷東根本町にのみ伝わる七夕祭りの際、各地区の音楽隊が奏でる定番の曲であった。大森山は本町のシンボル的な山で、位置的には郊外南東にあり、奥羽山系からポツンと離れた標高280mの小さな小さな孤峰である。我が生家からはそう遠くはなく、子供の頃には毎日眺めた里山でもある。石灰岩の採掘跡が本町方面からは白く禿に見えた。しかし、麓は何十回も往復したが、実際山頂に立ったのは1,2回に過ぎないと思う。山には大昔大森秀重の城があって、本町一日町の秀重院が菩提寺と祖父が教えてくれた。サクランボ狩りに帰郷した翌朝、早朝に実家を出て、大森山を目指した。コースは子供の頃、祖父と隣の神町へ歩いたコースと同じとする。

思い出のルートを大森山へ 直ぐ白水川に架かる柳町橋を渡る。旧道へ入り、土手は小学生時代スキーで遊んだ場所だが、現在では低く斜度も緩い。当時は90度に近い高い土手を滑っている感覚であった。左折し五軒通りを行く。少し家並みが増したが、今でも周囲には畑中の道であった面影を残す。原方地区となり十字路で大森山方向へ右折。両側にはサクランボ園が続き、農家は朝仕事に採取中である。一昔前は、一面葉タバコ栽培が行われて、我が東根は有数の産地であった。それが果樹園に変わってしまった。ここの街道には思い出がある。中学一年の時校内駅伝大会があり、その時走った区間だ。1.2kmで全区間中最長距離で、襷を貰った時は前後とも大差があって同じ順位で次走者へ繋いだのを覚えている。
 

諏訪神社石段を上がる 大森山が正面に見えて来た。右手は誘致企業の工場が集まる工業団地。山裾にあった小さな池を思い出し、注意しながら進むも見付からない。テニスコートがある付近と思う。諏訪神社の石段下に至り、神社へ。養蚕家の参拝が多かったようだ。やはり中学時代部活のトレーニングに、石段駆け上がりをしたが、長くは続かなかった。草茫々の近道を登山口へ。このルートは若しかして消えているかと思ったが、何とか残っていた。山腹に切られた車も通れる道を上がり続ける。振り返ると工業団地の先に葉山を従えた月山が見える(写真参照)。未だ真っ白な月の山で、今年は雪が多かったと聞く。電波塔が林立した先が山頂広場。周囲は樹が邪魔し展望はない。僅かに神町方面が開け朝日連峰が望めた。カメラに収め、稲荷神社に手を合わせて、誰もいない大森山山頂を後にした。
 佐藤錦誕生の佐藤家を経由 麓へ下りて、南側にある磨崖仏を眺め、タイパラ地蔵様に挨拶し本町方向へ戻って、途中から小林地区へ左折。小林では表札から、辻村姓を確かめ一安心。以前は小林の住民全員が辻村さんで、同級生が3人おられた。
 スーパー店舗の横に出る。畑の先にあった我々が通学した中学校は今はなく、商業地区に変身し東根発展の証かもしれない。通称ヤマキ様の前へ出る。サクランボの人気品種佐藤錦を育成した佐藤栄助さん宅と果樹園。子供の頃は人里離れた林の中の一軒家であった。庭先にその石碑があった記憶があり、覗いたが不明。また旧道を通り、櫻壇という火葬場跡を過ぎると柳町橋は直ぐで、丁度朝食前に実家へ戻ることが出来た。        (2012/07/1歩く 13回卆 工藤 莞司)                                

0 件のコメント:

コメントを投稿