2012年10月13日土曜日

私の山歩き里歩き紀行・山形編(22)

故郷の県都山形市内を40年振りに歩く

 帰省中に山形市を訪ねた。同市には高校時代から上京するまでの約4年間実家のある東根から通った。若い頃は実家へ帰る前に、友人達に会うため途中下車して山形市に寄ることが多かったが、結婚後はそのようなことは少なくなってしまった。
 今回は、夕方先輩に会う約束をして、その前に久しぶりに市内を巡ろうというもの。当初は千歳山から盃山に登り、馬見ヶ崎川を下り千歳公園から母校に立ち寄って、旧県庁、七日町通りを経て山形駅に向かうプランを考えていたが、時間の読みなどに誤りがあった。コースの大半がは約40年振りだから止む得ない。
 
    車で弟夫婦に送って貰い、千歳山の麓から歩き出した。地図はなく記憶と感だけが頼りである。万松寺という古刹を目指し、当てずっぽうで右折したが千歳稲荷神社に出てしまい、 最初から感が外れてしまった。千歳山は旧市街の南の外れで未知の地ではあった。仕方がないので戻らず、稲荷神社に参拝する。少し山中に上がった先に立派な社が建っていた。参道で完全装備の山男と交差したが、千歳山から西蔵王の方に縦走ルートでもあるのだろうか。
 思わぬ時間を食ってしまい、盃山どころか馬見ヶ崎河畔・千歳公園経由も危うくなり、タクシーを捕まえて同公園手前で降りた。秋の山形名物大鍋芋煮会の開催場所はもう少し上流の河原だ。馬見ヶ崎橋に立つと高校時代を思い出した。堤防を利用した周回コースで毎年駅伝大会が開かれ、1、2年の時は小生も走った。直ぐ先の県営陸上競技場がスタートとゴールであった。確か1年生の体育授業も同競技場で行われた。閉場中で柵から覗くと、トラックやスタンドは昔と変わっていない。1952(昭和27)年に山形県などで開かれた国体のメイン会場であったという。
 千歳公園に入る。小学1年の頃移動子供動物園が開かれて、両親と見物に来た事があった。しかし象や大蛇を見た筈なのだが記憶にない。兄にその話をしたら彼も同じだと知った。子供時代に経験した我が家唯一の家族レジャーであった。園内の国分寺薬師堂では僅かな賽銭で我が一族の健康等をお願いした。次は母校への道で入る路地を心配したが薬師さまからは直線で校庭であった。一度80(昭和55)年頃に出張の際立ち寄って以来である。あの時は新校舎にはなっていたが体育館も新築されていた。戦前高校野球東北大会も開かれたというグラウンドも現代風に整備されていて、紀元2600年記念に作ったコンクリート製スタンドの一部は残っていたが、ソフトボールやサッカーに駆け回った運動場の面影は消え去っていた。夏休み中で、誰もいない校内を通って裏門に出た。
 方向感覚を失い掛けたが、新築西通りであることをバス停で確かめ、県庁跡に裏から入る。赤煉瓦で時計台のある建物はリニューアルされて、現在では博物館「文翔館」として保存されているようだ。雨が降り出し、本日夕方は当地の花火大会で賑わっているがどうなるのだろう。七日町という市内一の繁華街を通る。銀行や市役所は建て替えされていたが同じ場所であった。デパート前からスズラン通りに入るため右折する。教育会館は結婚式場も備えた立派なビルになっていた。
 桜町に入り豊烈神社に詣でる。最後の山形藩主水野家の祖先を祀り、現在も古式打毬を伝えるなどとある縁起を眺めていたら待ち合わせ時間が迫ってしまった。元勤務先財務部があった地にはNHK山形支局が建っていて、モダンな建物を横目で眺め、スズラン街を急ぎ足で通過し山形駅に到着した。財務部時代のS先輩は先に着いておられて、慌ててご挨拶をした。                                                           (03/8/14歩く 13回卆 工藤 莞司)

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