2011年7月30日土曜日

私の山歩き里歩き紀行・山形編(3)



帰郷して、小学校時代に歩いた遠足コース小松沢観音を訪ねる






小学生、特に低学年時の遠足先の記憶は定かである。一年の春は黒鳥観音、秋は雪の観音、二年の春は東沢公園、秋は谷地橋、そして三年の春が隣町にある小松沢観音であった。ハイキングを始めて帰郷する度、小松沢観音を訪ねたいと思うようになった。コースの途中にも様々な想い出がある。 実家から東根小学校を目指す。5分程度先で、級友の間でも近い方であった。他のコースも思案したが遠足と同様、校庭からスタートとし、先ずは校庭の大欅を見上げた。葉を落とした日本一の欅の大木も意外にスマートに見えた。 



現在では隣町楯岡へは直通する新道が開通しているが、古い街北の宿を行く。農家が集まり、同級生も多かった。新築された住宅にも、農家の面影が窺える。貴船神社の案内に立ち寄るも、小さな社のみ。荒宿を経由して、堂の前公園。現在では公園として整備されているが、小学校時代は隣山がスキー場で、先生に引率され滑ったことがある。沼縁には桜並木が続くも、未だ2,3分咲き。それでも樹の下には花見のグループが集合している。売店で、団子を求めた。 この先からは新道となる。遠足は山裾を巡り出入りのある旧農道を歩いた。また、母の実家や隣町へ行くときも通った道でもある。小池山下を通過。山中のここに一軒家があり、一年上の方がおられて遠距離通学に驚いたことがあった。左手は東根温泉で、その先には田畑が広がっている。我が故郷でも有数の水田地帯であった。現在でも残ってはいるが、国道13号沿いに住宅街が列なり隣町と切れ目がなくなってしまった。



荷渡地蔵に着き手を合わせる。昔からトリシャビキに御利益があるという評判で、父が描いた鶏の絵の奉納に母に連れられて来たと思う。百日咳のことであった。祖父と一緒の時に聞いた話だが、大昔当地は大きな湖で、舟で荷渡しをした船着き場で、その名があるという。次の坂を六月坂といい、夏の6月にならないと水が引かず歩けない坂であったと教えてくれた。藻が湖といい、来訪した行基菩薩が碁点の地で最上川に水を抜いて、現在の平地が出来たという話は子供の頃から耳にした伝説である。そんな話を思い出しながら、六月坂を上がった。 



雪の観音に参拝。何でもない寺院であるが、遠足先であった。境内で昼食し遊んだ覚えがあり、同学年生250名の子供で溢れたと思う。小松沢観音は更に山へと入る。記憶にない山中の参道や石段を上がる。当時の遠足には、父母の同行があって、H君の祖父や写真館S君のお父さんが一緒であったと思う。山門から、観音様に到着。小さな本堂は意外であった。山門には大草鞋が奉納してあり、浅草浅草寺のものと同じルーツで、この地の氏子連制作だろう。約60年振りだが、誰もいない中、家族の健康等をお願いし、祈願後お神籤を引くと吉であった。 休憩し幕井水源地に向けて下山。ハイキング用山道で、倒木が多い。麓に下りて、土手に上がったが、記憶にある浄水場ではなかった。携帯が振動し兄からで、登山口で待っているという。同級生の蕎麦屋に行き、兄家族と手打ちそばで遅い昼食を取った。                                           (2010/4/25歩く)



13回卆 工藤 莞司

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