2011年8月21日日曜日

私の山歩き里歩き紀行・山形編(4)




俳聖を追いて 陸羽路 秋深し




 同級生より、故郷東根で小生の出版祝賀会開催の連絡があり、喜んで出掛けた。前日出発し古里を歩き記録に加えることを目論み、迷わず、陸前鳴子から羽前堺田に掛けて出羽街道に遺る奥の細道コースとした。 


 東北新幹線を古川駅で陸羽東線に乗り継ぎ、鳴子温泉駅をスタート。既に13時を過ぎて、東京では晴れていたが雨が落ち始めた。鳴子温泉は紅葉の時期に入り観賞客で賑わっている。舗道を歩き大谷橋に到着。鳴子峡入口で、山から谷へと紅葉が広がり橋上からの眺めは絶景。思わずデジカメを出してシャッターを切った。尿前の関跡は直ぐ先。入口の柵が再現してあった。芭蕉は関守に怪しまれて時間を喰ったとある。案内板に惑わされて道を誤り、国道へと出てしまいトンネルを抜けると鳴子峡の出口で、渓谷を埋める紅葉を覗いた。




 奥の細道の案内を見付け山道へ踏み込む。小深沢で、谷沿いから小山を越して大深沢へと谷底に下る。中山越えの難所だろう。古来出羽街道の要衝で、幕末戊辰の役でも陣地が設けられたとある。また大通りに合流し側道を歩く。中山平温泉に至り保養所などが目立つ。15時過ぎて中山平駅角を通過。雨は傘を指す程ではないが、堺田駅16時30分発に乗車の予定。資料では鳴子駅から県境まで2時間半とあるもその先の距離が不明。何とかなるだろうと歩き続ける。



 舗道を離れて出羽街道中山宿を通過すると、林から畑地となり、軽井沢という地を経て再び山の中を進む。今では落葉敷かれた山の小径だが、出羽と陸前を繋いだ街道として古き時代から発展して、義経一行が奥州平泉へ落ちた時にも辿り、その伝説が遺るとある。午後も遅く他に人影はなく、単身色とりどりの紅葉を背に黙々と歩く。同じような山中風景が続き現在地が分からない。寂しさを紛らすため、俳聖にもめげずに駄句を捻りながら細道を行く。橋のない沢を飛び石伝いに渡り甘酒地蔵前へと出て、地蔵に纏わる義経伝説説明書きを読む。



 左手から車の騒音が聞こえ始めて、出口は近いと予想。 程なく国道を渡り、山形県側へ。10分ほどで封人の家であった。国境を警備する名主有路家住宅で、芭蕉一行も数泊した屋敷である。有名な“蚤虱 馬が尿する枕元”と詠んだのはこの家宿泊時である。何故か尿前の関所跡の石碑も同じ句であった。封人の家は多分3度目で、屋内見学は省略し句碑のみを確かめて、堺田駅を探した。土産店で教えて貰い、太平洋、日本海分水嶺に出会った先から駅へと降りて、電車を待つ。県境の無人駅には先客が1人いて、電車到着までは15分程の余裕があった。陸羽東線を新庄駅経由で実家へと向かう。途中、携帯が振動して、明日出席してくれる同級生からであった。                                        (09/10/31歩く 13回卆 工藤 莞司)                                        

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