2014年7月26日土曜日

私の山歩き里歩き紀行・山形編(38)

私の山歩き里歩き紀行・山形編(38)

 

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  新潟山形県境日本海沿岸を北上し鼠ヶ関へ

  

 今年の秘湯の会の行き先は新潟県境に近い山形の温海温泉であった。我が故郷の山形県内だが生地東根とは遠く離れた庄内も最西で新潟県が直ぐだ。私の知る限りでは日本海側の普通の温泉で、秘湯には属さないと思う。近郷近在からの湯治場である。連れて行って貰う会員は会長推薦に従う外はない。

 

 鼠ヶ関海岸から関所跡へ 会長自ら運転する車は、9時前埼玉上尾を出発し関越道路を走り、正午頃新潟市内インターを右折し、山形県境へと向かった。新発田、村上、笹川流れを経て、日本海を眺めながら山形県へ入り、 1630分過ぎ車が駐まった地は、鼠ヶ関であった。弁天島前で、右は漁港、海産物を並べた土産店は閉店準備中。厳島神社に参拝し、島裏の小さな岬を巡る。磯には釣り人が見える。突端には灯台があった。岬には様々な花が咲いている。花の名が不明なのは残念だが、白にピンクが混じった花は浜昼顔だろう。カメラに収めた。戻り道は少し広い整備された遊歩道。崖にかんぞうの花を見付けた。キスゲに似の濃い黄色の花である。当地にも義経伝説があって、近くに上陸の碑があると知り、回って貰ったが、作家村上元三が調査した処、義経都落ち平泉行きの経路として佐渡経由で当浜に上陸したとあり、安宅の関通過と似た話が記載されていた。本当かなと思わないではない。

 

 鼠ヶ関関所跡は近かった。小さな遺跡を見学しこれで奥州三関を訪ねたとメンバーの一人は言ったが、私は二度目で(98.4.30)16年振り。中学同級会出席した帰途大回りし羽越線で帰京する際、途中下車した。この時、街中に県境があり隣同士で違う県と知りびっくりした。最近の調査で、現在の遺跡は江戸期以降近世の関所跡で、その前の関は別に新潟寄りあると分かったとあるが、その地の案内はない。

 

 笹川流れでカモメと戯れる 

鼠ヶ関到着前、村上から笹川流れに寄り、遊覧船に乗った。海に落ち込んだ崖や小島、岩礁が織りなす景勝の地。そして、海も美しい。遠くには粟島が霞む。船に乗ろうという会長の提案に、3人の会員は皆頷いた。私は、確か二度目だが、防波堤が築かれ、船も大型である。波に揺られながら、変わる風景を眺めていると船内に子供の歓声が聞こえ始めた。カモメに餌をやっている。私もえびせんを求め、一時海猫と戯れた(写真下)。手に持ち窓から突き出すと、多数の海鳥が寄って来て一瞬にして奪われてしまう。上手というか馴れたカモメや海に落ちたのを拾う海猫もいるが、儘ならないカモメもいる。不器用か性格がおとなしいのだろうか。乗船の待ち時間土産店で、焼き立ての小魚をつまみながら缶麦酒を飲んだ。

 

 温海温泉へ 

鼠ヶ関から温海温泉は近かった。先の戦争の終わり頃亡父が、当地の浜に塩田作りに徴用された話しを思い出した。戦争末期塩不足解消の窮余の策だったろう。私が生まれた時期で、後に父に2,3度聞いたことがある。温泉で汗を流し、日本海の魚や岩牡蛎を肴に庄内の地酒で、明日の山登りに備えた。         

                                                               (2014年6月14日歩く 13回卆工藤 莞司)

                                                                                                 

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