最上川から白水川を遡上した故郷ハイキング
帰郷を機に、最上川中流に架かる碁点橋下の竜神橋から碁点を経て荒小屋を経由し、さらに支流白水川を遡上して、実家のある東根まで歩いた。後半、荒小屋の母の実家へは子供の頃は母に連れられて、またその後も自転車で良く通った道である。
碁点から最上川縁を歩く 龍神橋を16時前スタート。近くで蕎麦屋を営む同級生に車で送って貰った。荒小屋までは約50分、そこから東根までは70分程度と想定。龍神橋から碁点までは遊歩道が出来ていた。若い叔父が昭和20年代頃夜間帰宅に利用したとの自慢話しを聞き、一度歩きたいと思っていたルート。その後も最上川と山裾の間にある僅かな踏み跡であったと記憶している。従姉妹も、「昔は最上川べりの道も、竜神橋もなく鬱蒼と木が茂り、人の寄り付かない怖いところで最上川に向かって誰も通らない草の茂った一本道がありました。今思えば竜神の通る道だったのでしょう。」とメールをくれた。深い右下を急流が走るがそんな面影はない。林を抜けると河川敷広場では多くの高齢者達がゴルフまがいのプレーを楽しんでいた。
碁点橋から一旦集落へと入ったが大旦川水門から、再び最上川沿いに堤防を進む。故郷の大河は広く流れはその中央を蕩々と下り、堤防下には紅白の花が見える。白い花は桜桃、紅いのは桃の花だ。子供の頃は水田と桑畑であったが、現在では一面果樹畑に変身している。弟からメールがあり、荒小屋へ向けてハイク中と返す。彼も亡父の法事出席のため帰郷途中。振り返ると亀の子山、通称で河島山である。この辺りで従姉妹達と夏休みに写生したことを思い出した。荒小屋は杉林の先の筈だが、その前に二棟の立派な建物を通り越した。下水処理場だろう。杉林を過ぎて支流白水川の橋を渡り、母の実家へ電話。
荒小屋から東根の実家へ 叔父と叔母に挨拶をしてお茶を戴いた後法事での再会をお願いして腰を上げる。隣の従兄弟宅に寄り今年1月に亡くなった叔母の仏前に焼香。車で送るとの言葉を遮って、今度は白水川遡上を開始。松沢橋、蟹沢橋、六田橋を越すが各15分程度と見込む。母に連れられて歩いた道であり、兄と魚採りや山羊用の草刈りに屡々遠出した地。暮れなずむ中流れには多くの水鳥達が遊ぶ。鴨だろう。小魚が増えて自然が蘇った証であろうか。左手先の主峰は甑岳(1,016m 94/9/18,99/8/28)である。松沢橋まで18分、蟹沢橋までは33分、六田橋までは50分で通過。堤防には桜の古木が並木を作っているが咲き散っていた。花見の時期が大分早まったことは確かだ。蟹沢橋袂にある東根二中の校舎はモダンな建物になっていた。小生の中学時代に統合創設された隣の中学校であった。
奥羽線踏切を迂回し、六田橋を渡って東根市街へと入る。我が本家の裏から中学時代の通学路となるが、薄暮も過ぎ住宅が密集していて道を誤り一度は他家庭先へと侵入してしまう。どうにか回復して実家へと辿り着いた。荒小屋からは予定通りの70分。本日地元柳町地蔵尊の春祭りの日で世話役に出掛けていた兄は帰宅していた。
出発前に同級生の店で蕎麦をご馳走になり、下流大淀にある真下慶治美術館で彼が愛した最上川の絵を鑑賞。最上の流れは館の正面にあった。 (09/4/28歩く 13回卆工藤 莞司)
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