蔵王駅から茂吉記念館前駅まで歩き遅筆堂を見学する
故井上ひさしが蔵書を故郷へ寄贈し開設した遅筆堂文庫が山形県川西町にあり、その分館が山形市にあることを知り、訪ねてみたいと思っていた。彼の作品との出会いは偶々エッセーの新潮文庫「日本亭主図鑑」昭和57年14刷)を求めて読んだのが最初で、その後、小説も読みファンの一人になったが、彼が最も得意とし高い評価のある戯曲までは及ばない。多分に同郷出の作家であることも身近にしたのであろうが、分かりやすく面白く風刺も効いているところが良い。多くを読んでいる内、彼は置賜郡小松町に生を受け、両親は薬を扱う雑貨商を営んでいたが小説家志望の父の死後母が失敗して一関へ引っ越し、その後仙台の孤児院に預けられ、仙台一高から結局は上智大学へ進んだことはそちこちに書いてある。彼が好んで用いた、”むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをゆかいに ゆかいなことをまじめに”のモットーも好きだ。その井上も、昨年4月天に召されてしまった。
蔵王駅が最寄り駅 実家のあるさくらんぼ東根駅から山形駅で乗り換え次の蔵王駅に降りた。奥羽線を利用していた私もこの駅は初めて。昔は金井駅であったが、昭和30年頃(26年と判明)蔵王観光の売り出しのため駅名が変えられたのだったと思う。5歳上の兄は蔵王温泉の林間学校にはここから徒歩と聞いた。2-3時間を要したであったろう。昭和25年のことである。目の前の山が蔵王山かなと思ったが、緑が覆い高山には見えない。
遅筆堂山形分館は駅から徒歩20分程の筈。駅前通りを直進し国道13号バイパスに突き当たり、上山方向へ右折したが、工場や倉庫が目立ち、それらしき建物は見えて来ない。やや不安になった頃、インターネットで確かめたシーベルアリーナの大きな館が現れ、大回りして正面から入館。 遅筆堂山形文庫は図書館 遅筆堂は劇場であるアリーナの一部。勇んで入館し受付で入場料の支払らおうとすると、図書館ですから不要と言われた。井上らしいなと思いながら館内を巡った。分館は3万冊収納で、広くはない一画に収まっているが、多種多様な分野に亘る図書が各棚に目一杯並んでいる。井上の作品中心の展示かなと期待していた点では物足りなかったが、彼の仕事の一端を見付けた。辞書には俗にいう腰ひもと呼ぶ紐を付け、資料とする書籍には多くの付箋を挟み、また赤線を引くのが彼のやり方である。館内の一隅にそんな古書を見付けてカメラに収めた。二回りして退館する。
隣駅茂吉記念館駅まで歩く 受付で蔵王駅の先茂吉記念館駅までの道程を訪ねたらわざわざ地図のコピーを渡してくれた。再びバイパス沿いに歩くと、左手奥に高山が見えてロープウェイ駅が確かめられ蔵王地蔵岳であろう。山形市から隣の上山市に入り金瓶を通過。当地が斎藤茂吉の出身地らしい。須川を渡ると線路と交差し、林の中に小道を発見。地図にはないが。直進すれば茂吉記念館から同駅に違いないと直感し、突入。予想通りに無人駅に到着した。途中、樹林の中に平屋の建物があり茂吉記念館。休館を思わせるように閑散としている上に、電車の時間もあり、素通りしてしまった。 (2011/9/11歩く 工藤 莞司 13回卆)
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