2011年11月7日月曜日

私の山歩き里歩き紀行・山形編(7)



紅葉の赤芝峡を歩き、錦秋の米坂線を行く


 米坂線を走る列車が置賜盆地から飯豊山地に入った。周囲の木々、否、山全体が紅葉錦に覆われ、何処を眺めても黄、紅色に染まり、紅葉の壁やトンネルを走っている。車窓に釘付けになってしまった。錦繍という表現があるがこのような紅葉状態をいうのだろう。昨日通った奥羽線板谷峠付近も見事だったがここには及ばない。窓から時々視線を外しても、列車は未だ紅葉の中だ。来て良かった。今朝、色々迷った。今回の小野川温泉旅行は現地解散で、帰京するか、川西町にある作家井上ひさしの遅筆堂を訪ねるかである。場合によっては、白布高湯から西吾妻山とも考えたが、この時期小生の力量では無理だろう。結論が米坂線で小国町に降りて歩こうということになった。

 米坂線は3度目だ。新潟県境を走り、故郷東根とは遠く離れて縁がなかった。最初は1963年母校の後輩達が新潟県三条市で開かれたインターハイ出場し同行した時だ。次ぎは1991年春の連休に帰郷した際、新潟県荒川町に移住した先輩を訪ねた時もこの線を利用した。
 予定どおり小国駅に降りた。紅葉を眺めながら赤芝峡まで歩こうというもの。同峡は先に米坂線に乗った時景勝の地として列車から眺めたことがある。丁度4kmとあり、次ぎの列車時刻を確かめ駅舎を出た。空は晴れ上がり絶好の天気だ。山峡の小さな町小国は確か大企業の工場がある企業城下町と聞いている。夫婦ハイカーの後に付いて、紅葉にカメラを向けながら赤芝峡を目指す。除雪センター側を通る。小国は雪が深い地としても有名だ。既に、十数台の除雪車が車庫前で整備中のようだ。道の駅「ぶな茶屋」を通過し、国道を行く。橋を渡って赤芝峡に到着。峡谷は紅葉の山に囲まれていた。谷に下りて歩こうとしたが道が荒れていて断念。短時間ではあったが、紅葉と渓谷美をたっぷりと味わい小国駅に戻った。 米坂線の紅葉はこれでお終いではなかった。再び車中の人となり、先程歩いた赤芝峡を走りトンネルを抜けて目を見張った。錦織りを着けた山々が両側に次々と現れ、青い谷川やダム湖を従え一段と紅葉が映えている。先程歩いた赤芝峡はほんの入口で新潟県側に一面紅葉の山が続いているのだ。紅葉に興奮しうっとりとしている乗客は小生と少数の旅人で、地元の人々は読書やおしゃべりで車外に目を向けることはない。毎秋の自然現象ということだろうか。車窓の紅葉は新潟県に入ってもしばらくの間は切れ目がなかった。小国駅手前から雪を被った朝日連峰が見えたが燃えるような紅葉の連続には陰が薄かった。 

 米坂線を終点坂町駅で降りて先輩を訪ねた。間もなく古稀を迎えられるというMさんはご夫婦ともどもご健勝であった。Mさんに車で駅まで送って貰って、帰京の途に就いた。                               (2001/11/10歩く 工藤 莞司 13回卆)

0 件のコメント:

コメントを投稿