2011年3月21日月曜日

吉岡です。地震ーアーティストの意見。

吉岡です。私の友人による今回の地震にかんする意見です。

アーティスト西山真実のメール
・NYテロの時、NYに着けずにアラスカやLAに運ばれて味わった生まれて初めての真の不安と孤独、その後の大ガッカリな戦争ー。
あの時から私は大きく変わった。無力感に浸った。表現者の立場でありながら、その後何年も被害者のように癒やされたくて、光を求めてさまよった。同時に、偉大な美術作品が弱った心の大助けになることを初めて知った。勿論マチスの作品も!
今回の災害でも早速弱気になって、テロの時と少し似た気持ちになったが、いやいや、かなり違う。戦争ではないからだ。テロで消防士が英雄視されていた時はなかった気持ち、原発で頑張ってるグスコーブドリみたいなおじさんたちが格好良くみえる。私も余裕がある…!?
現実ーいまの私の仕事では、限られた人にその場所に足を運んで観て頂くしか方法がない。何事につけて行動遅いし。
落ち着かないしばらくは、じっとしている。それでも、静かに、より深く感じ、蓄える。美術でなければできないような表現で世の中に尽くせると信じる。

アーティスト金田実生のメール
アトリエ引っ越し中で、地震の時も。荷物運びはしてなかったしいろいろ無事ですが。
いつも吉岡さんのメール拝読してて、内容が詰まってて拝読のみ。なかなか返信してなくてすみませんです。
原発や被災の状況、これ自分のいる地で起きてることなのか、現実的でないという感覚よりは、何か、夢の中のようというほうが近いです。だから現実感がないということだろうけど、こんな中に自分がいることが不思議な感じという。むろん夢とか不思議とか、こんな言葉使い今してはいけないのだろうけど、感覚においては正直なところです。
美術が特効薬じゃない、まったくです。即効性はないけど、今は無事な人々が工夫して日常を過ごすことがきっと助けになりますね。経済にも心にも。
カミュの話、私はサルトルもたいして読んでないけど、吉岡さんに共感しましたよ。
停電とか老母のケアとかで毎日クタクタ、姉の家に行くのに途中ケーキを買いました。
ショートケーキの苺とか、白くてホワホワのホイップクリームとか、見てたらほんわかしました。
庭の木蓮が開きはじめ、切り花のチューリップやミモザを買ったのですけど、香りや見目は、ショートケーキの苺同様、気持ちが緩められるとまた確認。普段も感じていたことですが、本物の感覚だったのだな、私にとっては。
ザワザワとして、ガサガサの皮膚を擦り合わせているように感じている毎日ですが、日常を進めたいと思ってます。
吉岡さんも体調にお気をつけて、吉岡ギャラリーどうしていくのかなと考えつつも、過ごしてまいりましょう。カネ

笠間・藤本均定成のメール
この震災で茨城も岩手、宮城、福島程ではないけれどダメージを受けました。知人の陶芸家達も受難しました。ほとんどの作品は壊れたのは言うまでもなく、海沿いの陶芸家の家とアトリエが流されたり、多くの陶芸家の窯が壊れてしまいました。こんこん堂の屋根瓦も感心するほど全部ずり落ちてしまいました。笠間の水道水も全部復旧できていなく、給水車にたよっている人も多く、体育館に身を寄せている人もいます。土浦以北の電車は不通のままで通勤や通学にも支障をきたしています。でも当人達は命を失った人に比べると、幸せだと考え前向きに動き始めています。
余震が続いています。今や震度3ぐらいには驚かなくなり、状況を観察する余裕さえ出てきました。仕事場の周りに生息するキジが地震がくる十秒前ぐらいに必ず鳴くのです。ニュジーランド地震や今回の大地震の前にも鯨達が打ち上げられた話をも重ねて考えると、生物は地球の異変を感じる能力を持っているのに、人間という生物は文明という力で地球を制覇し始めると同時に、本来持っていた感知する能力を失うことになり、このような惨事にまで至ってしまったのではと考えてもいます。
ここで今回の震災とキジの予感めいたことを感じたことで、このような状況での美術の仕事についても考え始めていました。…ある人は風景画で荒んだ心を癒されるだろう。ある人は作品の中に新しい価値観の存在を見いだし、前向きに動き始めるだろうし、美術のなす仕事は多くあると考えています。
美術のあり方は多種ありますが大きく2つに分けてみますと。前者の作品は絵を描くことが何よりも好きで結果その絵が人を幸せにするタイプの仕事が1つ。もう1つは後者の作品、人間に僅かに残っている予知能力に類する感覚の一カケラを繰り寄せ世界を認識したいが為に作品化されたものの仕事かと考えています。
ここで重要なことは美術家が仕事として考え作ったものでなく、どうしても作らざるをえない人間によって作られた作品の仕事なのです。
吉岡さんの嫌う美術は上記の作品の中になく、資本主義経済の価値観に呑み込まれ、なにも疑問に感じなくなっている(作り手も含む)美術経済界を指しているのかと思っています。
現代美術界は自身の立場に対して全く批判精神を持たないアートマネージメントという力で操作されつつあります。
社会でのアートという言葉の概念は今や資本主義主義経済の一部として疑いようがない所まで来ているのが現実かもしれない。私が感じている吉岡さんの美術に対しての精神的な部分に関しの思いは今や美術やアートの土俵の上で論じると話が通じなくなりつつあるのが現実ではないのかと考えています。
とりあえず今は仕事場も片付きのんびりしています。吉岡通信を読んで、又この震災を体験し、いろいろ美術に関して考えたことを書いてみました。4月の個展を楽しみにしています。

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