見ていて、思いがいろいろかけめぐっている、ような気もするし、なんにも考えてないような気もする。
日本で初めて原発を作るときに、国会だったか、東電の記者会見でだったか忘れたが、万が一事故が起こったらどうするのかという質問に、東電は、万が一ということも有り得ないので、答えのしようがないみたいな答弁をしていたのを覚えている。その答弁が、どれほどの重みをもっているか、答弁者本人もわからなかったのだろうか。
テレビがいち速く通常の番組を流したのは正解だった。緊急特番だけでは、気持ちが沈みこむばかりだ。人間は緊張を緩めたり、トリップする時間が必要なのだ。
音楽ってこういうときに力を発揮するなあ。心を癒す。ドラマとか、お笑いとかもなかなかいいと思う。
本の中にトリップするのもいいなあ。
イチローは1億円寄付するみたいだし、ヨン様も何千万だか送るみたいだし。スポーツ選手も被災者を励ましてるし。
美術って何ができるのかって考えるよね。
マチスは、自分の作品は見る人の安楽椅子だと言っているけど、それはそれで一つの見識には違いない。デバートで売っているような、チンケな風景画はこういうときに安楽椅子にはならない。本当に質の高い芸術が安楽椅子にもなりうるのだろうか。
美術は特効薬ではない。しかし、真摯な表現は、いつか、なにかしらの力を発揮して、われわれを支えるものであるとわたしは思う。カミュとサルトルの論争というのがあって、哲学者のサルトルは「行動」すべきであるとして、実際に行動するのではなくて著作と思索に専念するカミュを断罪したことがある。
しかし、わたしに限っていえば、サルトルよりもカミュにたくさん励まされてきた。
山形新幹線はいつ動き出すのだろうか。春休みに山形に行こうと思っていたが、難しいね。
停電の夜、月明かりが思いの外明るかったのが心に残る。
吉岡まさみ
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