「聖なる魂」の主人公はアメリカ・インディアン指導者である。彼の子供の生
年が1956年でわたしと同じなので、お父さんであるデニス・バンクスはそれな
りの年であるはずだ。
アメリカ・インディアンの壮絶ともいえる歴史とバンクスが運動の指導者にな
るまでを自伝風に語っていく内容であり、感銘を受けたのだか、その中でわた
しの一番心を捉えたのは、インディアンのことよりも、バンクス自身のプライ
ベートな部分だった。
「ディス、イズ、マチコ」という一言がいつまでもわたしの耳のなかで響く。
若いころバンクスは軍隊に入り、日本に来た。話をものすごく端折って早送り
するとこういうことになる。立川の基地に配属になる。そして3年ほど駐留す
るあいだに、まち子さんという日本人女性と親しくなり、結婚することを考え
る。みち子という子供も授かったのだか、メーデーに参加したというので、バ
ンクスはアメリカに強制送還になってしまう。必ず帰ってくるからと約束して
別れるのだか、バンクスは帰国してから酒に溺れ、まち子さんのことも次第に
忘れていく。その後2回結婚して子供ももうけるが、貧困の中、盗みを働き投
獄、いっしょに盗みをした白人は釈放になるが、インディアンのバンクスは5
年の刑期。刑務所のなかで、インディアンである自分を意識するようになり、
次第にインディアン運動の指導者になっていく。そんな運動をしているときに
本部に一本の電話が入る。ここから本文を引用する。
「デニス、電話だ。国際電話だ。イタリアかジャパンか、なんかそういう国か
らのようだ」
私とともにウンデッド・ニーの闘いを指揮していたラッセル・ミーンズが私を
呼びに来た。
受話器を耳にあてると、雑音がきこえるばかりだった。
「ハロー、ハロー」
私は大声を出した。すると突然、
「デニス・バンクス?ディス・イズ・マチコ」
という英語の声が錯綜する雑音の中をかきわけるように私の耳に届いた。それ
は確かにまち子の声だった。続いて彼女が日本語で誰かと話しているのがきこ
えてきた。雑音が一気に激しくなった。もう向こうの声は何も聞こえない。さ
らに雑音が高まり、電話は切れた。三十秒もたたなかったのではないか。何の
会話も交わすことはできなかった。それきりで、二度と電話はかかってこな
かった。空港で別れてから十六年がたっていた。
電話をもらったときのバンクスと電話をかけたまち子さんのその時の心を考え
るとなんともいえない切ない気持ちになった。
ディス・イズ・マチコってただそれだけの中に、どれだけの思いが入っている
のか、考えていたら涙が出た。
新宿のしばがき眼科で柴垣先生の診察を受けて、インディアンとアムスタッツ
さんの話をしはじめたらちょうどアムスタッツさんからメールがあった。
そうか、この本はドクターにあげればいいんだ。そう考えて、この本は読み終
わったらドクターにあげますね、とわたしが言うと、
「じゃ、あたしが読み終わったら次の人に渡せばいいのね」
と診察室で言う。察する力は診察と同じで正確だ。
(吉岡 政美:昭和56年卒、互一会)
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