2011年12月30日金曜日

私の山歩き里歩き紀行・山形編(10)



思い出は蘇らなかった山形盃山ハイク



 



帰省を機に山形市内を歩くプランを巡らして、最終的に盃山と専称寺にした。馬見ヶ崎川先にある盃山は山形市内に一番近くシンボル的な小山で、高校1年の時体育授業で何回かランニングした思い出がある。山裾を流れる馬見ヶ崎河畔が全国的にも有名な芋煮会の会場の本場である。また市内寺町にある専称寺は戦国後期の1595(文禄4)年に、秀次切腹事件の巻き添えで京三条河原で処刑された最上義光(ヨシアキ)の娘駒姫を義光が弔った寺として知られている。



 懐かしき盃山を越す  山形駅前から沼の辺行きバスに乗車し東北中央病院前で降りた。途中の風景や地名には断片的ではあるが記憶にある地もあった。バイパス沿いに盃山を目指し、高校時代走ったコースを見付けようと馬見ヶ崎川へ向けたがそのような小径は見当たらず、川とは反対側の登り口から山へ入る。僅かな急坂を過ぎると立派な展望台があり、正面には山形市街地が広がった。次のピークが山頂かなと思ったが、頂は未だ先。 先程来、嘗て走った筈の山道を探してキョロキョロしているが痕跡も見付からない。約50年も前のことで、しかも、我が母校方面から堤防伝いの進入口にはバイパスが出来て、失われてしまったであろうことは想像される。 山頂(279m)に着いて、古峯神社に参拝。そのまま越して山を下ると寺院や神社の間道。亀井勝一郎の碑を見る。帰宅後調べると彼は旧制山形高校出とあった。馬見ヶ崎河畔へ下りて愛宕橋を渡り、盃山を振り返った。麓には市営プールジャバがあった。左岸を下り続ける。河原は芋煮会会場でそれらしき設備も散見される。上京まで数回私も仲間達と芋煮を楽しんだ地である。芋煮用大鍋が飾ってある地を過ぎ、バイパス道手前で、昔見た盃山の姿を発見しシャッターを切った。 



専称寺と駒姫 双月橋で市街地へ左折し、山形北高側を抜けて専称寺目指す。住宅地の中に高い樹木が聳える辺りが古刹に違いないと見当付けるとその通りであった。この寺は初めての訪問。一度前を通り大きな屋根が印象的であった。高校時代のことであったと思う。駒姫墓参者が多いらしく、コースが案内されている。先ずは屋根を見上げたが記憶にある程ではなかった。駒姫の墓は境内外れにポツンとある。それも再建らしい。何故かと訝ったが観光客の墓地侵入を避けたのかもしれない。義光の駒繋ぎ桜や大銀杏、古い梵鐘をカメラに収め寺を後にし、市内メイン通りを巡って、駅へ着くと山形新幹線東京行き電車が3分後とある。切符を出して改札口を駆け抜けた。                 (2011/11/28歩く 13回卆 工藤 莞司)                                     

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