駒草を眺め蔵王熊野岳から思い出の坊平へ下る
先程中丸山を越して、坊平高原へ向け熊野岳から下山を続けているが、次第に急降下の道になり、左下は深い谷で音はするが流れは見えない。こんなに連続する急な下りは全く記憶にない。もしかして、50年前とは別ルートかもしれないと思い始めた。
坊平高原の思い出
高校に入って最初の遠足が5月にあった。それが坊平高原で、蔵王山麓の草原に全校生が整列し、応援団の指揮の下ブラバン付で、校歌や応援歌を唱った。大自然の中900人の大合唱であった。これが高校生活かと鮮烈な思い出として残った。その後蔵王山は10回前後訪ねたが、坊平はなかった。そして、山歩きを始めて以来、思い出の坊平高原を再訪と思い始めた。
坊平高原を訪ねて蔵王へ
上山温泉駅から送迎バスを利用し刈田岳下駐車場から歩き出した。皆リフト利用だが、一人登山道を辿る。家内と最初に山形へ帰った時も蔵王を案内し、このリフトに乗ったことを思い出した。簡単に尾根へと上がり、先ずは右手の刈田岳頂(1,758m)を踏む。夏休みの土曜日なのに山頂付近は人出は少ない。社に安全を御願いし、お釜(火口湖)を覗きに少し下る。小学5年の林間学校時に登山し眺めて以来、噴火跡を残したエメラルドの湖水には変化はないように見える。カメラと携帯に収め友人へと送った。 馬の背から連峰蔵王の最高峰熊野岳を目指す。登山者は更に少なくなり、ガレ場の登山道を見失わないよう上がり続ける。程なく熊野神社から山頂(1,840m)に至った。ここに有名な茂吉作”陸奥をふたわけざまに聳えたもう蔵王の山の雲の中に立つ”の碑が建ち、再会した。ふたわけざまは、表と裏日本という意味かなと歩きながら思い付いたがどうだろう。
坊平へ下るもコースが?
昼食後、いよいよ坊平高原へ向けて下山開始。50年振りとなる筈。瓦礫の間に駒草を見付ける。蔵王の駒草は有名で、母校の校章でもあるが、蔵王では多分初めての発見で、観賞。しかし心なしか花は色は薄く茎葉も小振り。草津白根山や東信濃池の平のものよりは貧弱に見えた。北で気候のせいだろうか。ガレ場の登山道を右折し尾根道を快適に下る。振り返ると火山爆発で出来た熊野岳の切れ落ちた崖が真上に見える。そして、冒頭の中丸山を越した。 微かな記憶では、同級生と無駄話を交わしながら石ころや岩の多い登山道を楽々と往復し森の中ではなかったような気がする。それが今は深いブナ林の中を下っている。谷底に架かる仙人沢の吊り橋を渡って、50年前とは違うコースとほぼ確信した。
地図によれば、坊平からはもう一つ現エコーラインに沿った緩やかなコースもある。帰宅後調べる同ラインは昭和37年完成で、坊平からの登山は35年のこと、当時はメインのコースだったのだろう。それでも、校歌を斉唱した広場を探しに野営場を訪ねたが思い出は蘇らなかった。半世紀も前のことで、記憶が曖昧な上に開発が進んだからだろう。高原にはクロスカントリーコースが設けられ明日の大会前に選手達が試走していた。途中出会った山百合をカメラに収めて、リゾートホテル前のバス停へと向かった。 (2011/08/06 工藤 莞司 13回卆)
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