2011年1月30日日曜日

吉岡です。構造化。

木田元「ハイデガー『存在と時間』の構築」(岩波現代文庫)を読んでいて、ひっかかる言葉があった。構造化という言葉だ。
特別支援学校で何年か前からしきりに使われだした、この構造化という言葉は最初から胡散臭いとは感じていた。
意味がよくわからない。
例えば自閉症のこどもが、落ち着いて活動できるように、教室とか教材とかをその機能別に場所を設定したりする。これを構造化と呼んでいる。らしい。自閉症だけのこどもを集めたクラスを作るのも構造化の一つなのかもしれない。
構造化という言葉は哲学用語である。行動動物学でも使われる言葉である。
そもそも構造化とは何か。バナナが棚の上に載っている。その下に箱が置いてあって、チンパンジーがそれを見て、箱に乗ればバナナが取れると判断する。チンパンジーは箱を踏み台と判断したわけである。ところが動物学者の実験によると、その箱に他のチンパンジーが座っているとそのチンパンジーはバナナを取れなくなるのだそうだ。別に遠慮しているわくではない。他のチンパンジーが箱に座っているとその箱は椅子であると判断し、踏み台とは判断しなくなるのだ。箱を、椅子でもあるし、踏み台にもなるとは考えられないのだそうだ。一つの箱に踏み台、椅子、机、ベッドなどの機能を同時に与えること(考えること)。これを構造化という。
動物には現在しか存在しない。現在起こっている事象(シグナル)に反応するだけでいっぱいいっぱいなのだ。エサが目の前にあったら食べる。発情期のメスがいたらオスは性交しようとする。
人間は現在だけで生活しているわけではない。過去の事柄を振り返ったり、未来を想像したりしながら、その総体としての現在を生きる。これを時間の構造化という。人間はシグナルで行動するのではなく、その意味するところのシンボルで行動する。
構造化というのはその本来の性質として、より高次の構造化に進む。これを構造化の構造化という。ベクトルが上を向いている。
ところが先程の学校における構造化はベクトルが下を向いている。多機能から単機能に向かっている。これは構造化ではなく機能化と呼ぶべきものであると思う。構造化という言葉を使うのは適切でない。
学校における構造化って誰が言い出したのだろう。哲学を聞きかじった教育学者だろうか?教育学者も教育委員会の頭のレベルもかなり怪しいから違うかもしれない。哲学なんて読んでないだろう。もしなにも知らないで使っていたらバカだし、知っていて使っていたら、まったく違った意味を勝手につけ加えた剽切である。

今日買った本
玄侑宗久「慈悲をめぐる心象スケッチ」(講談社文庫)西村賢太「苦役列車」(新潮社)文庫じゃない本を買ってしまった。第144回芥川賞受賞!よかったよかった、やっと取ったねえ。

さて学校もあと8週間。
なんとか乗りきるしかないね。
寒いからみなさん体調には気をつけてね。

ギャラリーの契約はこれから不動産会社と相談しながらになる。
5月の連休あけに、内覧会をしたいと思ってます。

吉岡まさみ

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